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白菊会明海大学支部

 

明海大学歯学部

 

明海大学歯学部は昭和45年5月に城西歯科大学として創設されました。その後、昭和63年1月に干葉・浦安に経済学部と文学部の開講されるにあたり、浦安校舎のあります“明海”という地名を取り、明海大学とされました。城西歯科大学は明海大学歯学部としてそのまま校名を変えて存続することになりました。
創設当時におきましては解剖学担当は故谷口教授と故花井教授でありましたが、解剖実習用のご遺体の収集については両教授ともに関西の出身でもあり、当地関東において関連病院の手がかりには大きな問題であった。周辺の病院や施設では、すでに関連大学が存在し,ご無理をお願いすることも多かった。従って、大学創設と同時に「白菊会」に加えていただき倉屋利一会長にご無理をお願いすることが多かった。
また一方、解剖体協議会にも加名し、故谷口・故花井両教授と久米川教授の3名が県の民生部長,県・市の福祉事務所を訪ねて、「よろしく頼む」の旨の通達を出してもらって県内の各施設や病院を回って「解剖実習のご遺体の不足」を訴え、ご無理なお願いを頼み、その年の12月には20体のご遺体をお預かりすることができ、胸を撫で下ろした。昭和46年7月には霊安室が設けられ昭和48年度からは慰霊祭や納骨式が取り行われるようになり、ほぼ形が整いました。白菊会会員も次第に増加し、学生に十分な遺体数とはいえないまでも、解剖実習を行ってきました。故花井教授のあと昭和63年に時岡教授が赴任し、中島助教授が土地不安内な教授を助け、学生には十分な解剖実習を行わせるべきであるとの考えのもとに、先ず第一に白菊会を中心とした献体に切り変えるべく白菊会本部倉屋会長に白菊会会員数の増加をお願いし、同時に東京医大、防衛医大や埼玉医大にもお願いして回り、現在では実習に十分なご遺体をお預かりできるようになり、文部省の規定数に達することができている。
一方、解剖学実習用ご遺体の充実を計るとともに、その周辺の設備も充実されてきた。先づは解剖実習の開始までご遺体をホルマリンプールでお預かりする方式を変え、貯蔵庫内でお一人づつお待ちしていただく方式になり、同時に固定法も自動注入器や固定液加圧・加熱装置で完全に固定し、無菌でパックする方法を取っている。現在、将来に向けて、さらにこれらの方法が術者並びに周辺にも、ご遺体からの感染などの心配もなく安全に行われるよう、他大学を参考にしつつ準備室等の改造を設計しております。

 

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